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第22回SOMPO福祉財団賞 文献要旨

『帝国の遺産としてのイギリス福祉国家と移民―脱国民国家化と新しい紐帯』

岩手県立大学社会福祉学部 准教授 日野原 由未氏

 

1 本書の目的と背景

 20世紀に誕生した福祉国家は、ポスト20世紀の社会状況の下でどのように変化しているのであろうか。また、福祉国家研究はその変化をとらえているのであろうか。本書で、筆者がポスト20世紀の社会状況を反映する存在として着目したのが、移民である。
本書の目的は、移民の受け入れと彼らに対する社会権保障の仕組みを、受け入れ国(以下、ホスト国)の福祉国家の構造から解き明かすことである。この目的の下、主たる研究対象としてイギリスをとりあげた。福祉国家と移民との関係を決定づける要因について解明するとともに、ポスト20世紀型福祉国家における移民の位置づけの変化をとらえた。
移民は、グローバル化や少子高齢化、産業構造の変化といったこんにちの福祉国家が直面する社会環境の変化と密接に関わる存在である。これらの変化に直面することで、こんにちの福祉国家は、そのレゾンデートルにも変容が生じている。したがって、移民に着眼することは、福祉国家の現状とその課題を明らかにするうえでも有意義である。他方で、こうした意義がありながらも、福祉国家研究ではこれまで、移民というアクターの存在は中心的なテーマとして扱われてはこなかったといえよう。

 

2 本書の概要

 本書では、福祉国家における移民の位置づけが、後述する移民レジームと福祉レジームの交差から考察できることを、イギリスの公的医療制度(NHS)における医師の国際雇用を事例として実証することを試みた。以下、章立てに沿って本書の概要を記す。
第1章「福祉国家と移民をめぐる歴史と制度」では、出入国管理に関する制度と、入国後の移民の社会権保障を取り巻く制度から生み出される概念として、「移民レジーム」を提示した。本書が主たる分析の対象としたイギリスの移民レジームは、イギリスの旧植民地の連合体であるコモンウェルス(Commonwealth)の存在を背景に誕生した。イギリスは、コモンウェルスの下で大英帝国の遺産を継承し、独自の国籍概念や出入国管理の仕組みと、移民の社会権保障の仕組みを形成した。この仕組みの当初の目的は、大英帝国の解体後も旧植民地との間でイギリスが求心力を維持することであり、この目的の下で、イギリスはコモンウェルスに対して包摂的な国籍概念と移民政策を採用した。本書では、労働移民を受け入れることを目的としなかった制度が、結果的にはコモンウェルスからの人材調達を可能にするイギリス型移民レジームへと転用(conversion)されたことを指摘した。
移民レジームは、ホスト国独自の国籍概念や社会権保障の仕組みによって形成されることから、国ごとの多様性が見られることを、イギリス、フランス、日本の帝国比較によって示した。この比較から、イギリスでは、大英帝国の下での植民地支配の歴史が、福祉国家の形成と福祉国家の成員の画定に重要な影響を及ぼしており、それがイギリス型移民レジームの独自性を生んだことを明らかにした。
第2章「福祉レジームが規定する移民の受け入れ」では、ホスト国の福祉レジームが、移民の受け入れと彼らの社会権保障をどのように規定するのかを検討した。福祉レジームから移民の受け入れを考察することの意義は、各福祉レジームにおける移民の社会権保障のあり方を示す脱商品化の仕組みと、移民の雇用条件の形成、すなわち商品化の仕組みが生み出される政治経済的な背景との関係を解き明かすことにある。本書で自由主義レジームに位置づけたイギリスでは、サッチャー政権以降の福祉国家改革で選別主義の強化が図られた。本書では、移民やエスニック・マイノリティが、こうした福祉国家改革の下での縮減(retrenchment)による影響をもっとも受ける存在であったことを指摘した。
また、第2章では、20世紀型福祉国家からポスト20世紀型福祉国家への再編に伴う移民の位置づけの変化についても考察した。この考察から、福祉国家の脱国民国家の可能性について検討を行った。本書において福祉国家の脱国民国家化は、医療や介護を含む社会サービス供給を担う人材の国際移動を指す。福祉国家の脱国民国家化は、グローバル化の下で進行することから、グローバル化に伴う福祉レジームの収斂化という帰結を生み出しているようにもみえる。しかしながら、福祉国家は無条件にグローバル化を受容しているのではなく、福祉レジームによって異なるグローバル化の受容の仕方と各福祉レジームに適した脱国民国家化の選択が行われていることを指摘した。したがって、グローバル化の下での福祉国家の脱国民国家化は、福祉レジームの収斂化につながる概念というよりも、むしろ福祉レジームの分岐をとらえるうえで有益な視座をもたらす。本書では、脱国民国家化という観点から3つの福祉レジームを俯瞰し、グローバル化の下でも福祉レジームの多様性が保たれていることを指摘することで、福祉国家の再編をめぐる理論研究への貢献を試みた。
第3章「ニュー・レイバーのワークフェア改革と移民」では、本書の副題にも記した「新しい紐帯」の芽生えた時期であるニュー・レイバー政権下の福祉国家改革に着眼し、この改革と技能移民の受け入れとの関係を考察した。イギリスは、ニュー・レイバー政権2期目と重なる2000年代初頭以降、技能移民の受け入れと彼らの定住化を促す政策へと舵を切った。これは、政治学者のCrepazが提示する「国境を越えた信頼(trust beyond borders)」に基づく包摂といえよう。本書では、「国境を越えた信頼」の下で「新しい紐帯」が生まれた背景を、以下のように考察した。第一に、福祉国家改革により国家と市民の間に「新たな契約」概念が醸成されたことであり、第二に、「現代化」を旗印に行われた行政改革が重視したサービスの効率性と質の向上の観点からの外国人技能人材へのニーズの高まりである。 第4章「医師の国際雇用にみる福祉国家と移民」では、第1章から第3章で考察した、イギリス型移民レジームと福祉レジームとの関係、ならびにポスト20世紀型福祉国家における技能移民の社会的包摂の可能性について、NHSにおける医師の国際雇用を事例に検討を行った。NHSが創設されて以降、継続してコモンウェルス出身者が労働力として動員されてきたことを移民レジームと福祉レジームに基づき分析した。そのうえで、ニュー・レイバーの福祉国家改革と行政改革が技能人材でもある医師の国際雇用を推進し、「新たな契約」を締結しうる存在として、彼らの定住促進が進められたことを明らかにした。
本書では、NHSにおける医師の国際雇用の事例研究から、ポスト20世紀型福祉国家の持続を目的とする福祉国家の脱国民国家化の可能性を指摘した。これはすなわち、移民の受け入れはグローバル化の下で国家が自律性を失ったことを意味するのではなく、そこには依然としてホスト国の戦略に基づく多様性が維持されるということである。イギリスでは、依然としてイギリス型移民レジームの下で開かれた、コモンウェルスからの移民の受け入れの経路が機能している。そして、技能を有し、「新たな契約」を結ぶことのできる移民の受け入れが、自由主義レジーム福祉国家がポスト20世紀社会において持続するための手段のひとつに位置づけられたのである。イギリスでは、この選択を可能にする人材調達経路が移民レジームに埋め込まれている。したがって、イギリスにおける医師の国際雇用は、グローバル化の下での無秩序な国境の開放の帰結ではなく、ポスト20世紀型福祉国家が持続するための現実的な選択肢として採用されたのである。
終章では、以下の結論を述べた。第一に、移民と福祉国家との関係を決定づける第一の要因として、本書で移民レジームという概念で示したホスト国における移民の受け入れや社会権保障に関する歴史の重要性である。第二に、ホスト国の福祉国家の政治経済の体系である福祉レジームの重要性である。福祉レジームと移民レジームの交差のなかで、福祉国家における移民の受け入れと社会権保障の仕組みが形成される。第三に、ポスト20世紀型福祉国家における技能移民の台頭による移民の位置づけの変化である。移民は、従来の福祉国家研究では主要なアクターとは認識されてはこなかった。また、福祉国家研究による移民への関心は、一般的には「福祉国家のたかり屋(welfare scrounger)」というとらえ方にとどまってきた。しかしながら、ホスト国との間で「新たな契約」を結ぶことができる市民でもある技能移民は、「福祉国家のたかり屋」とは異なるかたちで福祉国家に影響を与える存在である。福祉国家研究は、技能移民の存在をとおしてポスト20世紀型福祉国家の現状と課題を分析すべきであろう。

3 今後の研究に向けて

 今後は、「ブレグジット(Brexit)」という新たな重大局面に直面したイギリスにおいて、本書で提示したイギリス型移民レジームが、遺産としてどのように福祉国家に対して機能していくのか、その展開を追うこととしたい。また、本書で提示した福祉国家の脱国民国家化の概念から、わずかでも福祉国家論の理論研究の発展に貢献できる研究ができれば幸いである。
なお、本書は、2015年度に中央大学大学院法学研究科に提出した博士論文『イギリス福祉国家と高度技能移民政策−歴史的遺制・福祉レジーム・ワークフェア−』に大幅に加筆修正を加えたものである。本書の刊行にいたるなかでご指導やご支援をいただいた皆様に、厚く御礼申し上げる。今後も、原点を忘れずに研究に精進したい。