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第20回損保ジャパン日本興亜福祉財団賞 文献要旨

『社会的養護のもとで育つ若者の「ライフチャンス」−選択肢(オプション)とつながり(リガチュア)の保障、「生の不安定さ」からの解放を求めて』

昭和女子大学人間社会学部福祉社会学科 助教・永野 咲氏

 

1 研究の背景と目的

 子ども期を社会的養護―公的な養育―のもとで過ごした若者たちに、不利が集積している。
 公的責任のもと代替的養育を担う社会的養護は、衣食住の保障に限らない専門的ケアを提供し、さまざまな機会の回復を保障するという極めて重要な役割を負っている。しかし、現状では保護以前に奪われた機会の回復が十分保障されたかどうかにかかわらず、年齢や家庭の意向によって措置が解除され、社会への自立が強いられている。その結果、社会的養護を巣立つ若者の多くが、進路選択や社会生活への移行過程でさまざまな困難に直面することが実践等において報告されてきた。
 その反面、いざ社会的養護で育った若者の生活実態を調べてみると、十分なデータが見当たらない。家族から「社会が公的に」保護し、「社会が公的に」養育した子どもたちが、今どうしているかほとんど知られていないのである。制度のもとで育ち・巣立った子どもたちの生活状況が把握されていなければ、その社会的な制度の検証も評価もなされない。
 そこで、本書では、社会的養護のもとで育つ子ども/育った若者たちの生活状況を、科学的な方法で、正確に把握することを第一の目的とした。その上で、「社会的養護が保障すべきもの」を英国の社会的養護制度改革のキーワードであった「ライフチャンス」に求め、概念を紐解き、分析の枠組みとした。そして、量的なデータと質的なデータの両面からライフチャンスの構造を明らかにし、社会的養護のもとで育つ子ども/育った若者たちのライフチャンスをどのように保障すべきか検討する。このことが、第二の、そして最大の本書の目的である。

 

2 本書の構成

 本書は、以下の章で構成される。

序章

社会的養護のもとで育つ若者の困難を捉える

第1章

新たな概念「ライフチャンス」の導入

第2章

社会的養護措置解除後の生活状況に関するこれまでの研究

第3章

社会的養護措置解除後の生活実態とデプリベーション —ライフチャンスの量的把握

第4章

社会的養護のもとで育った21人へのインタビュー調査 —ライフチャンスの質的把握の方法

第5章 社会的養護のもとで育った若者のライフチャンス  —ライフチャンスの質的把握
終章 結論:社会的養護におけるライフチャンス保障

おわりに

 

 

3 研究の視点と方法

 上記の目的を達成するために、本書では、質的調査と量的調査を組み合わせたトライアンギュレーション(方法論的複眼)の手法を取り入れ、多角的な方法で社会的養護措置解除後の生活状況の把握に挑んだ。具体的には、自治体によって行われた調査に対する二次分析と、全国の児童養護施設に対するアンケート調査等によって収集した一次データの分析から、量的な把握を行った。さらに、社会的養護のもとでの生活を経験した当事者21名へのインタビュー調査による質的分析を総合した。
 これまでの社会的養護のもとで育った若者についての研究を概観すると、量的調査の不足はさることながら、質的把握においても、若者たちが直面する制度面の課題や人間関係の課題、生きづらさなどが、いずれかに偏って論じられたり、混在して論じられてきた傾向がある。そこで、本書では、社会的養護のもとで育った若者の生活状況や課題を体系的に把握するための理論枠組みとして、英国・社会的養護の大改革のキーワードとなった「ライフチャンス」概念に着目した。この枠組みを使用して、社会的養護のもとで育った若者たちの生活状況を分析することにより、これまで断片的にまたは体験的に「過酷」だと言われていた退所者の生活状況を、より体系的・構造的に把握することが可能になると考えられる。

 

4 本書の内容

 この「ライフチャンス」の概念について、政治社会学者のラルフ・ダーレンドルフ(Ralf Dahrendorf)は、「社会構造によって付与される個人の発展のための可能性」と定義し、「オプション(options):社会構造が付与している<選択可能性>」と「リガチュア(ligatures):帰属・社会的なつながり」という二つの要素の関数とする。本書では、ダーレンドルフの理論の有効性を検討した上で、この概念を援用し、分析枠組みとした。
 そして、長らくの課題であった社会的養護措置解除後の量的な実態について、2つの調査によって収集した一次データと、4つの自治体によって行われた調査の公開データに対する二次分析を行い、ライフチャンスの視点から把握を試みた。その結果、オプションの状況としての教育機会をみると、児童養護施設のもとでの高校中退率は、一般の若者の約10倍であった。また、大学等進学率は、一般との格差に加えて地域間の格差も示された。さらに、有業者率が高いのに反し、措置解除者の生活保護受給率は同年代の受給率の18倍以上であり、深刻な経済的困窮に陥る割合が非常に高いことも明らかとなった。リガチュアの状況では、退所後3年間にすでに約3割の退所者が施設と連絡を取れない状況に陥っており、つながりが途切れていく状況が明らかとなった。
 次に、ライフチャンスの質的把握のために、社会的養護のもとで生活した経験のある21人にインタビュー調査を実施した。ライフチャンスを質的に分析すると、オプションは「基礎的オプション」と「選択的オプション」の2つに大別された。また、社会的な帰属やつながりを表すリガチュアも、「家族のリガチュア」、「施設のリガチュア」、「社会のリガチュア」の3つに分類された。
 この2つのオプションと3つのリガチュアの構成をもって、社会的養護への措置によって変化すると考えられるライフチャンスについて検討すると、基礎的オプションの回復、選択的オプションの回復(義務教育の回復、高校進学の機会)があげられる一方で、選択的オプションの制限(集団生活による制限、大学等進学の制限)もみられた。また、足枷的であったり、欠如していた家族のリガチュアを施設のリガチュアが補完・代替することでのリガチュアの回復もみられたが、措置後の新たなつながりとなる施設リガチュアも集団生活の中で十分でなく、退所後には途絶えてしまう可能性があった。
 社会的養護を必要とする子どものライフチャンスをみると、総じて、オプションの制限とリガチュアの脆弱さが指摘されるが、さらに重要なことは、ダーレンドルフが規定したオプションとリガチュアだけでは捉えきれない「アイデンティティの根幹にある『生まれ』と『生きる』ことの揺らぎ」と定義した「生の不安定さ」が抽出され、ライフチャンスを極度に制限しかねないものとして存在していたことである。一般的には家族という強固なリガチュアのものにある子ども期に、(その質の如何にかかわらず)保護により家族とのつながりが分断されることで、なぜ家族と(が)いないのか」、「なぜケアのもとにいるのか」という大きな葛藤が生じることになる。しかし、こうした疑問に対するケアは十分とは言いがたい。「生の不安定さ」が生涯にわたってもたらす影響を再認識し、それぞれの抱える「生の不安定さ」に応じた「生い立ちの整理」などの取り組みが求められる。
 本書で把握した社会的養護のもとで育った若者のライフチャンスは、同年代の若者との大きな格差があった。こうした状況を鑑みると、社会的養護を措置解除された若者のライフチャンスは、社会的に剥奪されたデプリベーション状態であるといえる。このライフチャンスの格差を解消するためには、社会的養護にまつわる関連制度の大規模な改革が必要不可欠である。そして、変革の推進力を得るためには、社会的養護措置解除後の実態をより正確に、かつ長期的に把握する必要がある。その上で、オプションに対する制度的底上げが必要であると考えられる。スティグマを伴わない「権利」としての方向性を定めるには、当事者の主体的な参画が鍵であると考えられる。リガチュアにおいては、保護以前の家庭における脆弱な(あるいは足枷的な)リガチュアと、保護によるリガチュアの分断、さらに社会的養護の措置下における不十分なリガチュアの生成の状況が示唆されたところであるが、特に措置解除直後には、それまでの基盤だった施設のリガチュアが一気に減少傾向となる。社会の中で新たなリガチュアを築いていくには、施設のリガチュアに限らない社会の広範なネットワークや仕組みが求められる。
 さらに、社会的養護を巣立った若者の抱える「生の不安定さ」をどのようなリガチュアのもとで解決してゆくかについては、きわめて困難な課題であることが示唆された。出自が不明であったり、自身の「生」が否定されてきた若者たちの「生の不安定さ」や生きづらさは、措置解除後にも継続する可能性があり、時として保護によって保障された生存のチャンスを再び危機に陥れてしまうほどである。生涯にわたってライフチャンスの根底を揺るがす「生の不安定さ」をどのように解放していくか、さらなる検討が必要である。

 

5 今後にむけて

 最後に、本書は2015年度に東洋大学大学院へ提出した博士論文を一部加筆・修正したものである。ご指導くださった先生方、出版助成いただいた東洋大学にお礼を申し上げる。
 これまで10年以上の間、社会的養護のもとで育った方々・若者たちと活動を共にしてきた。本書につながる研究は、多くの不条理の中を生き抜いてきた方々、まさに「生」の危機にあった(ある)方々の強さと苦しみをみつめ、向き合ってきた研究であった。現在、日本の子ども保護制度・社会的養護制度は大きな転換点を迎え、これまで以上のスピードと熱量で、社会的養護の形態が論議されるものと思われる。しかし、社会的養護が果たすべき役割は、形態によって左右されるものではない。社会的養護の中で(形態にかかわらず)何を保障するべきなのか、それは、本書を通じて示してきた「ライフチャンス」の保障なのだろうと考えている。多くのお力添えをいただき、どうにかまとめることができた本書が、制度変革の大きな渦中にあるこれからの社会的養護にわずかでも貢献できることを願い、これからも研究・実践に尽力したい。