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第1回損保ジャパン記念財団賞 受賞文献要旨

[著書部門]  『ビアトリス・ウェッブの福祉思想』

淑徳大学助教授 社会福祉学博士 金子光一

 『ビアトリス・ウェッブの福祉思想』(以下、本書と略す)は、福祉国家理念の萌芽を内包する政策提言を行ったイギリス人、ビアトリス・ウェッブ (Beatrice Webb) に焦点を当て、社会福祉学における彼女の新たな位置づけを試みた書である。ウェッブ夫妻に関する思想研究や理論研究は、経済学・社会学・社会政策学等の分野において決して少なくない。しかしそれらのほとんどが、夫であるシドニー・ウェッブ(Sidney Webb)やフェビアン社会主義(Fabian Socialism)に重点を置くもので、シドニーの妻であるビアトリスを、シドニーやフェビアン社会主義と切り離して検証したものは稀少である。また彼女の思想は、経済学や社会学と同様に、あるいはそれ以上に今日の社会福祉学の学問領域に属しているにもかかわらず、社会福祉学の側面からの実証的分析は明らかに不足した状況である。
  本書は、4篇で構成されている。
第T篇は、シドニーと結婚する以前のビアトリス(旧姓、ビアトリス・ポッター〈Beatrice Potter〉)の思想形成過程に着目し検討した。特に、家庭教師ハーバート・スペンサー(Herbert Spencer) やジョセフ・チェンバレン(Joseph Chamberlain)の見解および慈善組織協会(Charity Organisation Society)での経験が、若き日の彼女の思想形成に与えた影響について論述した。
  第U篇では、チャールズ・ブーズ(Charles Booth) と共に行った貧困調査、ロンドン経済学校(London School of Economics) 創設にかかわる教育活動、協同組合運動および労働組合に関する調査研究等の過程を通じて、ビアトリスの思想がいかなる発達を遂げたかを考察した。
  第V篇は、「救貧法並びに貧困救済に関する王立委員会」(Royal Commission on the Poor Laws and Relief of Distress)の委員となったビアトリスの活動を中心に考察し、他の委員の諸説との比較分析によって彼女独自の福祉政策理念を浮き彫りにした。またここでは彼女の主張を広く普及させるための大衆啓蒙運動についても積極的に評価した。
  第W篇は結びの篇として、ビアトリスの福祉思想の位置づけを確認しながら、功罪を明らかにすることにより、その歴史的意味を検証した。
  冒頭部分で述べたように、これまでビアトリスは夫であるシドニー・ウェッブと共にフェビアン協会の理論的指導者として目され、特に社会福祉学研究では、ナショナル・ミニマム(National Minimum)の原則を最初に提唱した人物として、あるいは「救貧法並びに貧困救済に関する王立委員会」の『少数派報告』(Minority Report)作成者として、彼らの共著の分析から評価することが一般的に行われてきたように思う。
  本書において、シドニーとは別の思想を有するビアトリスを夫から切り離して検証した結果、筆者は社会福祉学におけるビアトリス自身の貢献を正当に評価することの必要性を痛感した。たとえばビアトリスが、中産階級上層に属しながら、内面世界での自我の葛藤を通じて階級意識の克服に努め、市民としての視点をもち続けた点や、28歳の時に行った自らの経済学研究で、すでに社会福祉学への発展の基礎となる人間的要素を重視している点、さらに貧困・低所得労働者・救貧法等に関する膨大な社会科学的資料を公開し、社会福祉学の学問的発展に寄与した点等は、従来のイギリス社会福祉史研究で軽視されてきたと考える。
  [謝辞]
  第1回安田火災記念財団賞という大変名誉ある賞を頂戴することになり、身に余る光栄と思っております。
  今後はこの受賞に恥じない努力をしていく所存です。ご指導くださった先生方、推薦をしてくださった先生方に、この場を借りて深くお礼申し上げます。
  本当にありがとうございました。

 

[論文部門] 『介護保険制度下におけるケアシステムの未来』

国立公衆衛生院主任研究官 工学博士 筒井孝子

 このたびは、突然の受賞の知らせに、ただただ、驚いています。
  今回の受賞は、1998年に社会保険旬報に掲載された論文である「介護保険制度下におけるケアシステムの未来」が評価されたものと理解しておりますが、この論文の原点は、10年程前の大学院生時代にあります。当時、介護福祉士という資格ができた当初で、私は、この介護福祉士をめざす学生さんに介護福祉実習の際のマニュアルを新たに作成するという仕事を引き受けることになりました。私は、このマニュアルには、まず「どのような状態の高齢者」には、「どのような介護内容」が提供されるべきかという、高齢者の特性に応じた介護内容の標準的な内容が示されるべきであると考え、これについて書かれてある国内外の文献を探しました。しかし、このような内容が整理され、体系化されたものは、存在せず、このこと自体、当時の私にとって大きな驚きでした。
  このため、実際に介護現場に行き、「〇さんという高齢者には、どのような介護が必要ですか?」というヒアリング調査を続け、自ら、この内容の体系化を始めることになったのです。この調査の結果、約350名の高齢者とその高齢者に提供されているケアの内容やその時間をtime sampling method法によって収集しました。このデータの分析した結果については、1991年に「高齢者の日常生活能力の評価に関する研究」という論文にして、発表しました。
  その後、この研究手法を基礎とし、わが国で初めての全国規模の高齢者に対するケアに関する調査を1993〜1995年に行ないました。この結果、約19年分にも相当するケアに関するタイムスタディデータと約3,800名分の病院および施設入所中の高齢者の身体状況や知的能力に関する情報、在宅で生活している約700世帯の高齢者情報と介護者のケア提供内容および時間のデータが収集できました。
  この際に得られた高齢者の特性別データと高齢者に提供されているケアの内容およびその時間のデータは、本年度から実施されている介護保険制度下における「要介護認定」のコンピュータによる一次判定システム構築の基礎となりました。また受賞論文に論述している内容には、その際に収集したデータの一部が用いられています。
  本論文では、本年4月より実施された介護保険制度下におけるケアシステムについて、多様な論点から論考した内容となっております。たとえば、わが国では、これまで「何をケアと呼んできたのか」、そして、「その構成要素は何か」、このケアを提供している仕組みである「ケアシステムの特徴は」といった内容について、実証的なデータを下に論述いたしました。これまで抽象化された概念として存在していた「ケア」を、本論文では、言語化し、次いで、コード化し、さらに数量化することでその特徴を統計的な手法によって解析しております。
  また、「ケア」という提供者と受給者との相互的な関係を総合化する「ケアシステム」の性質や特徴を分析する際には、complex systemにおけるいくつかの概念を用いた検討を試みました。しかし、「ケアシステム」の持ついくつかの法則性を発見することはできましたが、残念ながら、システムの構造を解明するには至っておりません。近年は、これらの研究のテーマに加えて、介護保険制度の実施によって創設される介護サービスマーケットが、この「ケアシステム」にどのような影響を及ぼすかといったテーマも視野においた研究が必要であると考えております。
  研究者として歩み始めて、10年が経過したこの時期に、このようなチャンスをいただけるのは、ひとえに今までご指導して頂いた内外の諸先生方の教えの賜物であり、厚くお礼申し上げます。
  また、多くの困難な調査にご協力頂いた介護サービスの現場で働く皆さんの励ましが研究を進める上で強い支えとなりました。この場をかりて、深く感謝いたします。